NEXT PROJECT > MOKK -solo-「f」からMOKKの4年間をめぐる【前編】
9月11日〜13日、こまばアゴラ劇場での東京公演を好評のうちに終えたMOKK -solo-「f」。
今までのMOKK/村本すみれ作品とは何層をも変化し、かつ深くなったとご好評いただいた本作品を抱え、いよいよ10月12日〜13日アトリエ劇研にて京都初公演を行います。
2007年以来これまでのMOKK作品のほとんどをご覧になっている舞踊評論家の高橋森彦さんを進行役に、
村本すみれ、上村なおか、寺杣彩によるディープな話題満載の座談会を開き、これまでの活動と「f」について熱く語ってもらいました。
村本:これ、立ち上げの時の公演チラシ【WORKSにある---friegチラシデータ】(07年project01「---frieg」)です。この公演をきっかけに2007年MOKKを立ち上げました。 でも、日大芸術学部在学中の2002年からメンバーであるスタッフと前身の活動はしていたんです。
高橋:村本さん入れてメンバーが5人(大畑、影山、加藤、上栗)、大学は一緒だけど、どのように知り合ったんですか?
村本:日芸の演劇学科には、俳優以外にもコースがいくつもあるんですが洋舞コースは1学年15人くらい。自然と学年同士の繋がりが強くなるんですよ。だからメンバーである照明や演出コースの仲間と2年生の時から学外で公演をしていました。あと大学には専用の劇場があるから、洋舞コース内でも創作する人は多かったですね。
高橋:その当時の名前はあったんですか?H ・アール・カオスの前身が「BANBABAN工房」だったみたいな(笑)。
村本:うちは「EGODANS」という名前で、卒業までに2、3回ほどやってましたね。
高橋:で、2005年に卒業してMOKKを結成した、と。
村本:卒業後2年ほどは各々バラバラでした。私は創作を、スタッフはその専門分野で活動を続けていましたが、私が単独公演をやりたい!と思って、その当時のメンバーを誘ったんです。でも、そのとき「今後すみれは続けてやっていく覚悟があるのか?」みたいな意思確認を迫られまして(笑)。そこは私自身疑いようのないことだったので、「そうだ」と言ってMOKKが結成されました。それが2006年の秋です。まず劇場探しをするんですが…「走り回りたい!」という欲求があったんですよね。劇場空間でなくてもいいので広いところを探していた結果、小学校を改築した芸能花伝舎の体育館に決まりました。
高橋:(チラシを見る)出演者には、いま活躍している人が多いよね。北島栄さん、天野美和子さん、今年トヨタコレオグラフィーアワードの本選にも残った鈴木優理子さん、竹内梓さん、そしてMOKK常連の寺杣さんや手代木花野さんもいる。
村本:今になって、これを観ているという人がいると、おーっと思う。
高橋:「---frieg」を体育館でやって、その後、赤坂にある駐車場で公演しますが、どういう経緯で決まったんですか?
村本:えっと…どうしてだったかな?
制作:「---frieg」の公演を観に来てくれた方に「実はこういうのをやっているんだよ」と声をかけてもらったんです。その方は駐車場上部の空中空間にガラスとアルミでできた建物を作る「フィル・パーク」という新しい土地活用を提案されていました。
村本:そうそう。空中空間をダイニングレストランにされていて「オープニングパフォーマンスをやりませんか?」とお誘いを受けました。
高橋:どういうことをやったんですか?
村本:ダンサーへのライブペインティングとバーカウンターを使ってダンスパフォーマンスをやりましたね。あと、ガラス張りだったので、お客さんは室内、私と広瀬梨江は、お客さんを見上げて外で室内の音は聞こえない状態だけど、音でリズムを取っているお客さんを見ながら踊っている。室内にいるお客さんは、私たちが音でリズムを取っているようにみえるけど実は全然聞こえてない、っていうことをやってみたんです。
高橋:おもしろそうですね。外でも踊ったんですか?
村本:外では、停めている車のヘッドライトで照らされているなか踊りましたね。でも、建物の真下に駐車場があるからお客さんは車が見えない。あと、目の前がアメリカ大使館で、「萌え」って書いてあるパーカーを着た私たちが踊っていたので、警官の人が常に行き来して「何やってるんだ」と見ているんですよね。私たち捕まってもよかったんだけど(笑)。なんとか捕まらずにやりきりました。
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高橋:出演者は?
村本:広瀬梨江さん、手代木花野さん、(寺杣)彩、
高橋:これがきっかけで一風変わった空間への興味が湧いたってことでしょうか? 村本:そうですね。これがきっかけで「LABO」シリーズが生まれたようなものかな。 |
高橋:私がMOKKを初めて観たのが07年12月LABO「廃墟」。その後、08年project「ましろ」、LABO「暗闇」、09年LABO「古民家」と続いていくのだけれども、LABOとprojectの性質の違いは何なんだろう。「劇場機構にとらわれない空間からの発信」とカンパニー・プロフィールで標榜しているけれど、一体どういう違いなんだろう?
村本:これは、本当に制作に怒られていたんだけど(笑)、線引きは、もはや最終的には私にしかなくて、空間ありき=LABOで、逆に私の作りたいモチーフがあって空間を探すのがprojectなんですよね。projectの方が大空間になっていくんだけど、お客さんにとっては、あまり変わりがない。どちらかというと、LABOの方が、空間ありきなのでお客さんに体感させる要素が強いと思います。
高橋:「ましろ」の時点では不覚にも違いが分からなかったけれど、10年6月に代々木の東京キリストの教会で行われたproject「LAURA」を観たとき、村本さんのなかに創りたいモチーフやイメージする空間があって壮大な感じが出ていると思いました。それと振付をかなりきっちりと作ったなあって。
村本:そう、これまでの作品と比べても「LAURA」は空間の面白さを期待されていたお客さんにとっては、物足りないのではないかと思うし、それは覚悟の上だったけど、この後MOKKの活動を小休止することにしていたので、「私の作品を作ろう」という気持ちをはっきり持って臨みました。そう、この2作品は、どちらも「祈り」の要素が強いですね。個人の日常風景にはあまり興味がないのかな。
高橋:興味がない?
村本:人間観というか、もっと俯瞰して見てしまうんですよね。いま、現代の生き方に興味がある人が多いのかなと思うけれど、私はそれよりもっと普遍的なもののほうに視線がいってしまう。そういう意味では、作品が壮大な感じになってしまうのかもしれない。
高橋:で、「LAURA」を終えて小休止に入る。
村本:約1年間でしたね。実はもっと長く休む予定だったんだけど(笑)。
高橋:他のメンバーの皆さんも将来のことなど考えられたのでしょうね。お休みの間、村本さんは?
村本:ヨーロッパへ3ヶ月ほど行き、ベルギーで活動されている陽かよ子さんにお世話になったり、震災後ちょうど立ち上がった、ベルギーのアーティスト達によるACT FOR JAPAN.に参加させてもらったりしてました。そこで、日玉浩史さんや池田芙美代さんと親しくさせてもらったり、あとは、ダンスフェスティバルのパスを握りしめては毎日通ってたなあ。身体を鍛えることはほぼ忘れて、観てましたねー。
高橋:そして、2011年11月に「LAURA」が韓国のソウル国際振付フェスティバルに招聘され、その年明けに吉祥寺シアター「ダンスインパクト吉祥寺」でも再演されました。そして、新作「Humming」で本格的に活動再開しましたが、きっかけはあったんですか?
村本:正直な話、「Humming」はMOKKの公演と言っていいのか分からないくらいに、私がやりたい気持ち一つだけで進めてしまいました。メンバーであるスタッフの体制が整わないまま本番を迎えてしまったというくらい。メンバーと皆で創るとはどういうことか結構考えたりしましたし、自分が創るという環境を整えなきゃならないと思いつつ「創りたいと思うときにしなければ!」(笑)という気持ちだけで始まったような気がします。私自身の苦手克服という意味もあったんです。元々群舞が多かったけれど、しっかりと中身がある、空間の特殊性や面白みだけではない深い作品を創っていかねばと思ってソロシリーズを立ち上げました。その後メンバーとは話し合いを持ちまして、決して決着がついたわけではないけれど、できるだけ私が創りやすい環境を作ろうということになって、今回の「f」では全員結集することができました。
高橋:もっと身体に焦点を当ててということだろうけれど、「Humming」から実際に創り方が変わったことってありますか?
村本:やはりソロと群舞は全然違う。「LAURA」もそうだったけど、やっぱり「群れ」感が私の作品には強いんですよね。空間と群れの関係性といういわゆるテッパンを全く使えない中、一人と向き合いどう創っていくか。全てが試行錯誤で変わったと思う。何が変わったっていうより全てが変わりました。今までの創り方を全て捨てたといってもいいくらい。
高橋:意識してそうなった?
村本:うーん、変えざるを得ないというか。やっぱり群舞のときは振付が強かったと思うけど、一方でその弱さも感じていたんですよ。奥までいかないというか。全体の中でみえる美しさと個々の深さが比例していかないもどかしさも感じていて。でも、もっと個人を掘り下げるにはどうしたらいいか!?と思っていて。決して方法論があったわけではない。だから試行錯誤のまま本番を迎えていたというのが正直なところ(笑)。
高橋:かなり突っ走った公演だったってことですね。
村本:そう(笑)。
高橋:話戻っちゃいますが、例えば「LAURA」の場合、台本もしくはテキストはあるんですか?作家によって様々異なると思うけど、村本さんの場合は、モチーフやテキストがあって、それをどう伝えているのかなと。ソロの場合は、どうやってダンサーへ伝えるのかな。種明かしになっちゃうかもしれないけど(笑)。
村本:シーンの構成が先に思い浮かんでいたり、テキストがなくてもビジュアルのイメージが結構強くて、「こういうのがやりたい」というのが先にあって、ダンサーと一緒に動きを創ってもらうことが多かったですね。
高橋:「Humming」のときは?
村本:一人ひとりのシーンが全体に連なっていく、という最初のイメージだけはあったけれど、「Humming」というタイトルにもあるように、唄をきっかけに独立した3シーンを作っていました。でも「もっと絡み合った方がいいんじゃないか?」という意見もあって、3人の関係性を見せる展開にしました。出演者の一人、池田遼さんは俳優なので、テキストが複雑に絡み合うということに対してもアイディアをどんどん出してくれたんです。強い支えでした。
高橋:たしかに、あの作品はソロが基本だけど通して観たらソロじゃないみたいなところがありました。
制作:「LAURA」までの4年間はとにかく場所探しの連続だった。それも体育館で始めた企画が、駐車場へと繋がって私たちの活動が決定づけられたんですよね。こんなつもりじゃなかった(笑)。それもすみれの「広いところでやりたい、自由にやりたい」という思いがそうさせたんだけど。
高橋:「自由にいたい」っていうのはMOKKのテーマであるかもね。
制作:そうそう、元々その空間にある机や椅子、神社でもそうだけど、ある制限のなかでどれだけ遊べるかをやっていた。場所探しでは、「暗闇」の場合は、まず、すみれが「暗闇でやりたい」って言い出して、じゃどういう場所がいいか考えていたとき、「そういえば、グレゴリー・コルベールが大きなコンテナボックスの中で美術展やってたよね」って話になり、よし、じゃ私たちは小さなコンテナを探そう!と。そうやって遊んできた4年間だった。そして多くの魅力ある方々との出会いが、特にLABO作品を創ってきたんです。だから、すみれの作品性をMOKKでどう還元するか、とかこれからの方向性については意識してこなかったかもしれない。
村本:勢いでやってきたって感じはする。
高橋:でも、09年8月の「古民家」は奈良の吉野の歴史ある街道にある古民家でのパフォーマンスだったのですが、そこで公演をやるために地元の人達と一緒に掃除したり、お祭りに参加したり、ワークショップを事前に開催したりしていますね。生き急いでいるように見えますが(笑)地域に根付いた活動とかもしっかりやっている。
あと、個人の日常風景に興味がないといっているけれど、「古民家」では、かつてそこに住んでいたであろう人の生活の残り香を感じさせたりする。「ましろ」でも、赤城神社の境内に大盛りに土を盛ってパフォーマンスをしているんだけれど、その本番中に近所のおじいちゃんが通りがかったり、洗濯物を叩く音がしたりして、そこに「日常」やドラマを感じますね。
村本:…営みには興味ありますね。
高橋:そう、日常と非日常と分けられるものでなくて、非日常を描こうとすればするほど逆に日常を感じさせることがある、そういう面白さがある。でも「暗闇」では感じようがないんですけど(笑)。
高橋:寺杣さんは第1回「---frieg」からほぼ全作品に参加しているけど当時はどうだった?
寺杣:その頃は大学2年で、当時は加藤みや子先生の作品しか出演経験がなかったですし、多分、MOKKの「---frieg」が一番最初の外部出演でした。劇場じゃなくて体育館だったからものすごく寒くて、藁がたくさんあって(笑)。いろんなことが一気に覆ってきたんです。とっても刺激が強くて、ただただ必死にやってきたような気がする。すみれさん自身も初めてだったから手探りだっただろうし必死だった。最後までどうしよう!って考えたり、このシーンは…とか。でもそれって「f」をやっている今でも変わらない(笑)。
LABOは、お客さんに触れあう。お客さんの反応を見て、じゃあこういう風にアプローチしよう!と変更したり、現地で決めることが多いので、…勇気というか、「したたか」さが物凄く身についたような気がする。
一同:なるほど〜。
村本:それが今回の作品に繋がってるんだね。
高橋:LABOの中で思い出深い公演は?
寺杣:「廃墟」と「古民家」ですね。「廃墟」は、今はもう解体されてしまった九段下ビルでのパフォーマンスだったのですが、領域探査デザイン代表の新藤さんのお力添えで、現地でのリハーサルを結構時間をかけてやることができたんです。最初のシーンは私一人対お客さん。とってもドキドキした。結構キワドイことまで求められたし。
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村本:「今夜はあなたを返さない」という手紙を書いては投げてね(笑)。 寺杣:そう(笑)。 |
寺杣:「古民家」はLABOのなかで稽古の期間がとても長くて、もはやLABOではないのでは!?というくらい作りこんでいて。
村本:LABOは瞬発力命(笑)。
寺杣:関係性は決まっているけど台詞はほぼ決まってないシーンがあるんです。しかも笑わせなきゃいけなくて……。笑いって、とっても難しい。あと、(池田)遼さんとのデュエットシーンがあるんだけど、決まっている動きはほぼなくて、毎回のリハで落ち込んではやっての繰り返しでした。皆で奈良へ行って一週間、リハして掃除して寝泊まりしてご飯を食べて。そういうことも思い出深いです。
後編ではいよいよ新作「f」に迫っていきます。