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村本すみれ 特別インタビュー

MOKK 10周年、MOKK project05『地樹なく声、ピリカ』について語る

聞き手:高橋森彦(舞踊評論家)

MOKKproject05 地樹(ちぎ)なく声、ピリカ

村本すみれ(振付・演出)を中心に活動するダンスカンパニーMOKKは、2007年、村本と大学の同期スタッフにより構成され、「劇場機構にとらわれない空間からの発信」を軸とした活動を行ってきました。2015年3月1日より、現メンバーに加えて新メンバー(ダンサー・制作アシスタント)が入り、日本橋・studio RADAを拠点に公演だけでなく、ワークショップやイベント開催などにも目を向けた新体制の活動を行っています。2017年に10周年を迎えるにあたり、3月〜4月、東京・仙台・北九州・京都でMOKK project05『地樹(ちぎ)なく声、ピリカ』を上演します。MOKKの活動を初期の頃からご覧いただいている舞踊評論家の高橋森彦さんに聞き手をお願いし、村本が同作や近況について話しました。

日本橋・studio RADAをオープン

MOKKの活動と並行して、2014年4月に日本橋・studio RADA(スタジオラダ)を立ち上げた理由は?

「自分の拠点がほしい」という夢は20代前半くらいからありました。日本橋というなじみのない地域でやるのは自分でも想像していませんでしたが、趣味の物件探しが高じて出会いがありました。定期的に身体を動かせて稽古場ジプシーを無くす方法を実践してみよう、と。

カリキュラム・運営方針は?

レッスンとレンタルスタジオとありますが、レッスンは、ジャイロキネシスやピラティスなどのボディワーク、私や森川弘和さん、岩渕貞太さん、手代木花野さんや菅彩夏さんのコンテンポラリーダンスのクラス、平日に毎朝おこなっている朝バレエ、そしてアルゼンチンタンゴという4つの柱でやっています。若いダンサーや俳優が毎日トレーニングできる環境を目指したいと思っています。

コンテンポラリーダンス中心のオープン・スタジオは日本ではまだ少ないですね。

講師の先生方とも、今の若い人たちは、公演の稽古のほかにレッスンやトレーニングをしているのか?という話題が出ます。踊り手でもあり作家でもあるスタイルが近年多いので、スキルや身体の扱い方の技術について人から言われることが少ないのかもしれません。自分の身体に個性を片寄らせる意味では良いのかもしれませんが、身体の感覚が薄いダンサーが増える危険性もあります。むろん、そこを突き抜けてしまえばいいのですが。これは自分への戒めでもあります。

近年のMOKKの活動

2014年2月のMOKK project04『ヴァニッシング・リム/Vanish』以来、MOKKとしては鳴りを潜めていた印象でした。

2014年はスタジオの立ち上げと運営に没頭しましたが、はじめてダンサーの新メンバーを募り、2015年に新体制がスタートしました。その年、日本女子体育大学の女性ダンサーたちに向けて創り、翌年、「福岡フリンジダンスフェステイバル」(2016年2月)で上演した女性5人が踊る『Dum Spiro,Spero.』が「韓国国際コミックダンスフェスティバル」に招聘され、青山で行われた「IDNダンスショウケース」やキラリふじみの「ダンスカフェ」にも一部メンバーを入れ替えて参加し、今までで最も上演回数が多い作品となりました。

MOKK project03「LAURA」(2010・東京キリストの教会)
「Dum Spiro,Spero.」(2016・福岡フリンジダンスフェステイバル)

ダンサーだけでなく俳優との協同作業も行っています。

MOKK project03 『LAURA』(2010年)を俳優10名が踊る『不本意ラウラ』(2012年)として改訂上演したら、とても新鮮で面白かったんですよね。ダンサーとは違うところに全力投球のボールが返ってきたような楽しさがありました。私の持ち味として、壮大なフィクション、SF感、祝祭感などあると思うのですが、俳優が入ることによって現在ある身体、時代性が自分の想像とは違うチャンネルで現れます。群舞―群像舞と私はよく称していますが―に関しても"群れ"を出せば出すほど"個人"が見せられるようになりました。

MOKK project03「LAURA」(2010・東京キリストの教会)
MOKK project03「LAURA」(2010・東京キリストの教会)

新作『地樹なく声、ピリカ』をめぐって

2017年3月〜4月、MOKKproject05『地樹なく声、ピリカ』を初演します。

葛藤はありました。10周年なのでしっかりと作品を創りたいですし、「MOKKが劇場でやるの?」とスタッフや過去の出演者にも言われましたが、機会は自分で作らないと腰がどんどん重くなってしまう。昨年ずっとやってきた『Dum Spiro,Spero.』が自分としては例外的に底抜けに明るい短編作品だったので、本来どんな作品を創るのかをもっと知ってもらいたい、というよこしまな気持ちもあります。

コンセプトは?

私の作品のほとんどに退廃的な雰囲気があります。人類が減少していったとして、どういう人たちが何に憧れを持ち、どのような生き方をするのか、どんな"民族的ルール"を持つようになるのか、に興味を持ったり、想像したりします。今回はさらに経験豊かなダンサーが集まっているので、どんな民族になるかとても楽しみです。音楽の松本淳一さんと打ち合わせをしながら、ピリカの音、ってどんなものか、祈りが声となり旋律が重なって、曼荼羅のようになっていく壮大な音楽になっていくのかな…、と勝手に想像して、早く歌練習をしたくてうずうずしています(笑)。

タイトルに込めた想いとは?

ピリカとはアイヌ語で「良い」「素晴らしい」「魅力がある」といった意味です。元は『ウナ・ピリカ(美しい灰)』という仮タイトルでした。灰のイメージがあり、燃え尽きたもの、肥料として次につながる再起のイメージもあります。ピリカは、人でもあり音でもあり現象、そして形容詞にもなる。そんなたくさんの含みをもたせたタイトルになっています。地樹は造語です。無く・亡く・失く・泣く・鳴く…ここは敢えて含みをもたせています。

演者は青木尚哉さん、森川弘和さん、竹内英明さん、新宅一平さん、手代木花野さん、菅彩夏さん、小松睦さん、中村優希さん、金子愛帆さん、村田茜さんです。

青木さん、森川さんは経験豊かなダンサーで、彼らの持つ世界観とは違うところに存在させたらどうなるのかという興味が純粋にあります。竹内さん、新宅さんもそうですが大人の男性とご一緒したい気持ちが、最近女性たちとの作品が続いたので強くありまして(笑)。手代木、菅は初期からMOKKに参加してくれていて信頼できる実力派ですし、小松は何ともいえない色っぽさがありますよね。中村は若く周りに刺激されて何が自分にできるかを常に探している姿が清々しいですし小柄ながらにとてもパワフル。MOKKメンバーの愛帆と茜はメンバーになって初の本公演なので貪欲に吸収して一皮も二皮もむけてほしい。自分のなかではエキサイティングなキャスティングになりましたが、その恐ろしさ、枷を楽しめるようにしたいと思います。

青木尚哉森川弘和 F/T14「動物紳士」c青木司
青木尚哉(左)、森川弘和 F/T14「動物紳士」©青木司(右)

東京だけでなく仙台、北九州、京都でも公演します。

いま10〜30分の作品を集めた企画公演が多いと思うのですが、このような作品を東京以外でしっかり観ていただくことが必要だと感じています。毎月私は仙台でワークショップをしているのですが、その地でMOKKを観てもらいたい。京都は森川さん、竹内さん、新宅さんの本拠地や出身地です。北九州は関しては、「北九州は熱い!」というのを周辺のアーティストから聞いているので楽しみです。

MOKKの10年間、そしてこれから

10年間を振り返って感じることは?

前半の5年間に関しては走り抜けた感があります。苦しいのはそこからで、一番大変なのは作品づくりや活動のモチベーションを持続させること。私の場合、MOKKを5人でやっていましたが皆忙しくなり、MOKKなのか個人の活動なのか、うまく立ち回れない時期もありました。続けられた理由は、劇場外の魅力ある空間探しに明け暮れた前半5年を経て、劇場で上演した作品が縁を繋げて、さまざまな地域で発表の場をもつ機会に恵まれたことだと思います。いろいろな地域に行ったり、子供たちとワークショップをしたり、Studio RADAを拠点にして「身体とはどういうものなのか」と探る時間を持つことが自分にとってのダンスと社会の関りの一つだと思っています。あと、私はアルゼンチンタンゴの活動もあり、コンテンポラリーダンスを外から見る視点が一つ増えました。自分にとって大きな出来事でした。

今後の展望・抱負をお話しください。

遺作のつもりでしたが(笑)チャンスが巡ってくれば創ってしまう性(さが)を感じます。MOKKは自分が自由でいられる場。がんじがらめになり苦しくて辛いことも多いですが、自由でいると思えなくなったら終わりです。MOKKが発展しているかどうかは分かりませんが、MOKKによって自分の活動の幅が広がったことは確かです。これからも他分野とのコラボレーションや視覚的・体験的に身体を演出することをしてみたいし、もっと地域のツアー型の企画など(『ナイトサファリ日本橋』や、豊橋での夜の植物園でのパフォーマンスなど)を展開して広げていきたい。楽しみの種は尽きないので、次の10年も予想できない出会いに期待しています。